最終話 世界の中心でアイを叫んだけもの

最終話の何がすごいって、もう画面に出てるのがキャラの絵ですらなくなってるところです。背景画とか写真とかにかぶってキャラの声が聞こえてくる。あの写真はどういう基準で選ばれているのか気になっています。誰か制作者にそういうインタビューをしてくれないだろうか。極限状態でやったことなので作った人も忘れてるだろうか。

前半、静止画が次々切り替わってセリフが被さっていくだけなのにすごい緊迫感があるのが流石だなあーと思う。昔、カウボーイビバップというアニメが地上波最終回の時に、エヴァ最終回と同じように、ありものの映像とキャラ達のモノローグだけで一本でっちあげてたんですがとても退屈だった。あれをやるのもセンスいるんだなあーと思った。(あと、ビバップの方は特に結論に向かう話じゃなくてただの穴埋めだったというのも一因か)


鉛筆書きのキャラにマーカーで着色っていうのも味があって好きだし、線画だけのアニメーションも好きだなあ。ここまで読んでおわかりの通り、私テレビ版最終2話が普通に好きなんです。少数派だろうか。


自分の姿が、自分を他人に認識させるための「僕という記号」だということに気が付いたところのシンジ君が「これは僕?本当の僕?偽りの僕?」って言ってるときすごい勢いでシンジきゅんの画像が切り替わっていくとこ。シンジ画像のチョイスが素晴らしくコマ送りするのも至福であります!どのカットもかわええ!設定資料とかセル色指定につかうやつ(?)とか絵コンテの絵とか混じってレアですよ。

ところで、

シンジ「どうしたらいいんですか?」
ゲンドウ「不自由をやろう」

ってなんかやらしくないッスか?(頭ダイジョブか)(わざわざ引用四角で囲んで言うことか)


シンジ君がみんな自分を嫌いに決まってる的なことを言うとこ、いつ見ても全然そんなことない少なくとも私は大好きじゃーい!って言いたい。


エヴァファンフィクション界に大きな種をまいていったパラレル学園ゲリオンなアニメパート。姿形はそのままでも、生い立ちが違うので全然違う人になってるシンジ君。かわいけどなあ…違う人なんだもんなあ。制服のズボンの色が転校生仕様じゃなくなってるのが芸が細かい。これも一つの世界。僕の中の可能性。ってカナリ無理があると思いまス。

シンジ「みんな僕が嫌いじゃないのかな?」
(中略)
ゲンドウ「お前は人に好かれることに慣れていないだけだ」

そうなった原因のお前が言うな!いつ見てもそう心でつっこまずにはいられない。


「僕は僕が嫌いだ。でも好きになれるかもしれない。」から徐々に背景にヒビが入っていって、ついに体育館がはじけて海と空が出てくるとこの開放感が大好きでしてな。セリフのリズムも最高。理屈抜きに心地よい映像なのですよ。


そしておめでとうありがとう。

これで終わってしまいましたよめくるめくアニマックスの毎日放送エヴァンゲリオンが。ありがとう君に会えて嬉しかったよ!(いや、また3月もやるみたいですが)